Friday, July 06, 2007

個人情報保護と匿名性

個人情報を保護するということが世の流れで、その必要性を否定するつもりは、勿論ない。自分に関した情報が、ひとり歩きして、思わぬところで使われると思うと気持ちが悪い。もっとも、自分は、こうしてブログを書きつつ会社へのリンクも張っているわけで、やはりそれなりの決意のもと、個人情報に分類されることをさらし続けていて、気持悪いも何もないわけだが。。

P-MARKもちょっと前は、所持していなくても仕事になった。が、今ではそうはいかない。取引前に当たり前に確認される。ECサイトのサーバを預かるデータセンターなども、「個人情報を利用する」事業者ではないからP-MARKの必要性はないのかもしれないが、自分達が「このセンターを利用してはどうですか」と顧客に提案する際は具合が悪い。

守るが大事であることは論を待たないが、中途半端な解釈や理解で、行き過ぎた話も耳にするようになってきた。出すことが当然なのに、出せませんという例は、時々ニュースで聞いた。

話が少し飛ぶが、飛騨の有る村の家では、子供達が中学校にはいると表札にその旨が書き加えられる。例えば「XX中学校1年1組高橋太郎」と、ご主人、奥さんの左に書かれる。これのネタ元は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の飛騨の話。連載は1986年だ。個人情報保護の観点からは、とんでもない話として、嘲りをうけそうな話だが、それなりの理由がある。

14才で元服・成人という時代があって、武士でなくても、14才は大人として扱われていた。武士は明治時代になってなくなったが、その精神は残った。
自分の名前、所属する組織(学校)を出してもらえることで、大人と見なすよと悟らせ、かつ、そこには、「名を惜しめ」「匿名でない自分の名前で責任をもって行動しろ」という意識が息づいている習慣だ。

保護という大義で担保される匿名性を前提に、無責任な言動をする人が本当に多いと思う。勿論、内部告発など、匿名ゆえに、言える事、書けることもあるだろうし、匿名すべてが悪いとは言わない。

バランスが大事なんだが、世のコモンセンスとして、どこが均衡点になるのかは、もう少し時間が必要だと思う。が、IT業界の真ん中の開発会社としては、世の中庸が定まるのは待ってられない。100%の正解は誰にも出せないだろうが、「外さない」を担保するためには、やはり関心をもって学んでいきたいと思う。

No comments: